佐久間令宗ブログ / 姓・家系・ご先祖

寒露のころ 菊花開(きくのはなひらく)

愛とは、振り返るその一足のこと

愛は前へ進む力だと思われています。けれども神前式の場で感じたのは、愛はむしろ立ち止まったときに現れるということでした。「慈」と「愛」から、家の糸が切れない理由を読み解きます。

暮らしの便り公開 2026年10月16日更新 2026年10月16日4分で読めます

この記事の答え

「愛」は、前へ急ぐ足がふと止まり、うしろを振り返る姿にあらわれます。「慈」は、自分が受け取ったものを惜しまず次の世代へ手渡すはたらきです。うしろを見て、前へ渡す。私は、この二つが揃った状態を慈愛と受け止めています。慈愛のある家では、先祖から子孫へ続く糸が切れません。

01愛は、立ち止まったときに現れる

私たちは「愛」というと、まっすぐ前へ進む熱量のようなものを思い浮かべます。愛があるから頑張れる、愛があるから踏み出せる、と。

けれども先日、ご夫婦のための神前式を執り行わせていただいたあと、静かな場でまったく逆のことを感じました。

愛の姿は、進んでいるときではなく、止まったときに現れるのではないでしょうか。

急ぎ足で歩いていた人が、ふと足を止める。「あの人は今どうしているだろう」と、うしろを振り返る。心が残ってしまって、先へ進めなくなる。その、止まってしまった一足。あれこそが愛だと思います。

逆に言えば、一度も振り返らずに進んでいける道には、まだ愛が芽生えていないのかもしれません。

02「慈」は、受け取ったものを手渡すこと

一方で、慈しむという言葉があります。

これは自分の持っているものを惜しまず、次に生まれてくる者へ手渡していくはたらきです。親が子へ渡し、その子が孫へ渡す。渡して渡して、絶やさない。

ここで大事なのは、慈しみに見返りがないことです。渡した相手から返ってくることを、はじめから想定していません。自分が受け取ったものを、自分のところで止めずに先へ流す。それだけです。

夜中に起きて赤ん坊を抱く母親の姿を思い浮かべてみてください。あの時間に報酬はありません。それでも渡しています。慈とは、そういう無償のはたらきです。

03振り返るとは、どこから来たかを思い出すこと

そして「振り返る」には、もうひとつの意味があります。

自分がどこから来たのかを見返すことです。

私は誰の願いのもとに生まれてきたのだろう。誰の祈りに生かされて、今ここに立っているのだろう。それを思い出すことが、振り返るということです。

父母を振り返る。その父母の、またその父母を振り返る。計算のうえでは、10代前の直系の先祖は1,024人、20代前なら100万人を超えます。その誰ひとりが欠けても、今の自分はここにいません。

振り返った先に、たしかに流れているものがあります。それを感じ取ったら、そのまま前へ手渡す。

うしろを見て、前へ渡す。この二つが揃ったものを、慈愛と呼びます。

0410秒だけ、足を止めてみる

とはいえ、毎日は忙しいものです。前へ前へと進まなければ回らない暮らしの中で、振り返る余裕はなかなかありません。

ですから、10秒でよいと思います。

信号待ちでも、お風呂の中でもかまいません。「今日、誰のおかげで自分はここに立っているだろう」と思い浮かべてみる。母の顔が浮かぶかもしれませんし、もう会えない誰かの顔かもしれません。お名前が分からなければ「父方のひいおじいさん」でも十分に届きます。

そして、自分がしてもらって嬉しかったことを、誰かにそのまま渡してみてください。返す相手は、してくれた本人でなくてかまいません。むしろ下へ、先へ渡していく。それが糸を繋ぐということです。

あなたのうしろには、一度も切れずにここまで届いた糸があります。切れていたら、あなたは今ここにいません。つまりあなたは、数えきれないほどの人が渡し続けてくれた、その先端に立っています。

これだけ大切に手渡されてきた命に、価値がないはずはありません。

今日、ふと足を止めて、うしろを見てみてください。感じ取れたものを、そのまま前へ渡していきましょう。その一足が、あなたのお家の糸を、また少し太くしてくれます。

静かに、手を合わせてみてください。

よくあるおたずね

先祖のことを何も知りません。お名前も分からない家でも、振り返ることはできますか。
できます。記録がなくても、自分が今ここにいる事実そのものが、先祖が命を渡し続けてくれた証です。「父方のひいおじいさん」のように続柄で思い浮かべるだけで十分に届きます。
慈愛は、家族以外の相手に向けてもよいものですか。
かまいません。慈愛の本質は血のつながりではなく、受け取ったものを自分で止めずに先へ渡すことです。職場の後輩でも、近所の子どもでも、同じはたらきになります。
振り返ると、後悔や寂しさばかり出てきてしまいます。
その痛みは、たしかに繋がっていたことの証です。無理に消そうとせず、「自分はこれだけのものを受け取った」という事実のほうを数えてみてください。心の向きが変わります。

この記事のことば

慈愛(じあい)
親が子をいつくしむような、深くこまやかな愛情をさす言葉です。この記事では、受け取ったものを次の世代へ手渡すはたらき(慈)と、自分の来た道を振り返る心(愛)が揃った状態と受け止めています。
神前式(しんぜんしき)
神前で夫婦の結びを誓う、日本の婚礼の形式です。明治時代以降に広まったと伝えられています。
直系(ちょっけい)
親子の関係でつながる血筋のことで、祖父母、曽祖父母のように自分から真上にさかのぼる系統をさします。
用語集を見る

同じ季節の記事

2026年10月16日寒露のころ

神棚の榊には意味がある — 古事記に出てくる由来と、家での扱い方

2026年10月16日寒露のころ

失われたのは横のつながりではない ― 神棚のない家で、私たちが手放したもの

2026年10月16日寒露のころ

拍手(かしわで)の打ち方と使い方——邪氣を祓い、場の氣をはかる先人の智恵

来年の寒露のころには、この欄に新しい記事が加わります。

この記事を書いた人

佐久間令宗さくま れいしゅう

和氣清麻呂公の流れを汲む和氣生京先生の祈りを受け継ぎ、祖霊祭と土地・建物の神事を執り行っています。また、広島を拠点に、地震鎮めと世界平和を祈る活動をしています。

著者について詳しく

いのりの宮で、ご一緒に

毎月1日と15日の朝7時に、拝神を配信しています。LINEにご登録いただければ、どなたでも無料でご覧いただけます。

LINEに登録する