この論考の要旨
かつての日本家屋で神棚と仏壇が果たしていたのは、この世にいない人のための席を家のなかに置くことだったと私は受け止めています。51C型の間取りからその席が消えたとき、消えたのは祖父母ではなく、祖父母のそのまた祖父母まででした。エモリー大学のデュークとフィヴッシュによる「Do You Know?」尺度の研究では、家族の歴史をよく知る子供ほど自己肯定感が高く、困難に耐える力が強いと報告されています。私はそこに、日本で分霊や中今と呼ばれてきた感覚との一致を見ます。縦の軸は三世代同居に戻らなくても、家に席をつくり、名前と物語を語り、定期的に祈ることで取り戻せると私は考えています。
01神器が、買えるものになった
第1回では、日本の核家族化が「時代の流れ」ではなく、三つの力の合力によって生じたことを見てきました。1947年の民法改正が家族の単位を「家」から「夫婦」へ縮め、1951年度に採択された51C型の間取りが夫婦と子供の収まる箱を全国に供給し、経済は世帯が分かれるほど成長する構造を持っていた。そして最後に、失われたのは横のつながりではなく縦の軸であると書きました。第2回では、その縦の軸とは何だったのか、そしてそれは取り戻せるのかを書きます。
まず、第1回で保留にした問いから始めます。白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫を「三種の神器」と呼んだこと。あれは何だったのか。
八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉。本来の三種の神器は、見ることも触れることも許されない、家の外にある聖なるものでした。それは所有の対象ではなく、代々受け継がれてきたという事実そのものに意味がありました。一方、家電としての「三種の神器」は、月賦で買え、茶の間に置け、10年もすれば古くなって買い替えられます。
日本には古来、言葉には神力が宿るという考え方があります。言霊です。何をどう呼ぶかは、その社会が何を神聖と見なしているかを映し、映すだけでなく、人の心に働きかけます。神聖なものが、受け継ぐものから買うものへ。触れられぬものから手の届くものへ。この転換が起きたのが、まさに家の形が組み替えられていたのと同じ十数年でした。私は、これを偶然の一致だとは考えていません。
02家から消えたのは、祖父母ではなかった
もう一度、51C型の間取りを思い出してください。2つの寝室と、食事のできる台所。そこに祖父母の部屋がないことは、第1回で確認しました。しかし本当に重大なのは、そこに神棚も仏壇も置き場所がなかったことです。
かつての日本家屋で、神棚や仏壇は何をしていたか。装飾ではありません。あれは、この世にいない人のための席でした。朝、家長が水を替え、手を合わせる。子供はその背中を毎日見て育ちます。子供にとってそれは、「うちには、目に見えないけれど確かに居る人たちがいる」という日常的な事実になります。祖父母が同居していれば、その人たちからさらに上の世代の話を聞くこともある。つまり家という空間は、生きている家族が寝起きする場所であると同時に、何十世代分の時間が畳一畳ぶんの席を持つ場所でもありました。
その席が、間取りから消えた。祖父母が家から消えたのではありません。祖父母の、そのまた祖父母までが、消えたのです。
そしてここが重要なのですが、団地に移り住んだ人々は、それに抗議しませんでした。神棚を置く場所がないと役所に掛け合った人は、ほとんどいなかったはずです。新しい暮らしは明るく、便利で、進んでいました。手放したという自覚さえないまま手放す。文化が失われるとき、たいていはそういう形をとります。そして一世代が過ぎると、席のない家で育った子供が親になります。その人にとって、神棚のない家は「失われた家」ではなく、単に「普通の家」です。
03「おじいさんの物語を知っている子」の強さ
これは情緒的な話ではありません。近年、西洋の心理学がこの領域に踏み込み、興味深い結果を出しています。
アメリカ・エモリー大学の心理学者マーシャル・デュークとロビン・フィヴッシュは、子供が自分の家族の歴史をどれだけ知っているかを測る「Do You Know?(あなたは知っていますか)」という20項目の尺度を開発しました。祖父母がどこで育ったか。両親がどこで出会ったか。家族に起きた深刻な病気や不幸を知っているか。そうした問いです1。
2001年の夏、両氏は約48家族にこの問いを投げかけ、子供たちの回答を心理検査の結果と照らし合わせました。家族の歴史をよく知っている子供ほど、自分の人生を自分で動かせるという感覚が強く、自己肯定感が高く、家族がうまく機能していると感じていた。この尺度は、子供の情緒的な健康を予測する単独の指標として最も優れたものだったと報じられています2。両氏は、この知見を臨床的に有用な指標として学術誌にも報告しています1。
調査の2か月後、同時多発テロが起きました。研究者たちは同じ子供たちを再び調べ、家族の歴史をよく知っていた子供ほど強いストレスを受け止める力があったことを確かめたと伝えられています2。
さらに注目すべき点があります。デュークは、家族の語りには三つの型があると述べています。「何もないところから成功した」という上昇の物語。「昔は豊かだったが失った」という下降の物語。そして最も健全なのは、浮き沈みを行き来する「振れ動く物語」だというのです2。栄光の家系図ではなく、「祖父はこんな苦労をして、それでもここまで来た」という話が、子供の土台になる。
デュークは、最も自信のある子供は「世代を超えた自己」を強く持っていると説明しています。自分より大きなものの一部であると知っている、ということです2。
04自分より大きなものの、一部である
「自分より大きなものの一部である」という感覚。日本には、これを表す言葉が古くからありました。分霊(わけみたま)です。本来は神社の神さまの御霊を分けてほかの場所にお祀りすることを指す言葉ですが、私はこれを、人のいのちにも当てはめて受け止めています。
私という存在は、ゼロから偶然生まれたものではなく、連綿と続いてきた大きないのちから分かたれてここに在る。父と母がいて、その父と母にもそれぞれ父と母がいて、10代さかのぼれば1,024人、20代さかのぼれば100万人を超える人々が、一人も欠けることなくつながって、いま私がここにいます。
自己肯定感を、自分の実績で積み上げようとすると、失敗のたびに崩れます。しかし自分の存在そのものが100万人の結果であるなら、それは実績とは無関係に、はじめから揺るがない。そして日本には、この感覚を毎日思い出すための装置がありました。それが神棚であり、仏壇であり、祖先へ祈るという習慣でした。
もうひとつ、古くから使われてきた言葉を挙げます。中今(なかいま)です。過去と未来のちょうど真ん中に、いまこの瞬間があるという捉え方を指します。過去は、終わって背後に置き去られたものではありません。いまここに流れ込み、私を通り抜けて、未来へ向かっていくもの。この見方に立てば、祖先へ祈るという行為は、過ぎ去ったものへの懐古ではなくなります。いま自分を動かしている力の源に、意識を向け直す作業になる。
デュークたちが「家族の物語を語ろう」と提唱していることを、私たちの先祖は数千年、祈りという形で実行してきた。私はそう理解しています。
05縦の軸は、同居しなくても取り戻せる
ここで誤解のないように書きます。私は、核家族をやめて三世代同居に戻れと言うつもりはありません。それは現実的ではないし、必要でもありません。失われたのは同居ではなく、縦の軸だからです。そして縦の軸は、間取りが2DKでも、マンションの一室でも、取り戻すことができます。
まず、家のなかに、席をつくること。神棚でも、仏壇でも、写真を一枚置いた棚でも構いません。大切なのは、そこが「いない人のための場所」だと家族が知っていることです。
次に、名前と物語を語ること。デュークたちの研究が示したのは、まさにこれです。祖父の名前、その人が何をして、何に躓き、どう立て直したか。順風満帆な話である必要はありません。むしろ苦難と再起の話ほど、子供の力になります。
そして、定期的に祈ること。私は父から受け継いだ作法として、父方の父の系統、父方の母の系統、母方の父の系統、母方の母の系統、四つの流れそれぞれに向けて祈りを捧げています。四つに分けるのは、片方の系統だけが自分をつくったわけではないからです。この形が唯一の正解だと申し上げるつもりはありません。ただ、どの系統も欠けていないと確かめる作業には、確かな意味があると感じています。
私の幼い長男は、私が朝、手を合わせているそばに来て、真似をして小さな手を合わせます。意味はまだ分かっていないでしょう。それでいい。彼が覚えているのは、「父は毎朝、見えない誰かに向かって頭を下げる人だった」という光景です。
1951年の図面から消されたものを、私たちは自分の手で描き足すことができます。図面は与えられたものですが、そこで何をするかは、与えられたものではありません。戦後の日本は、住む場所を失った国民に、驚くべき速度で家を用意しました。それは称えられるべき仕事です。ただ、そこで用意されたのは、生きている人間が寝起きするための箱でした。そこに死者の席がなかったことを、責める必要はありません。当時、そこまで手が回るはずもなかった。
けれども私たちは、もう住む家に困ってはいません。であれば、あの図面が積み残した一畳ぶんを、いま自分たちで加えればいい。家に、いない人の席をつくる。名前を呼ぶ。物語を語る。頭を下げる。それだけで、切れていた縦の軸は、もう一度つながり始めます。
参考文献
- 1Duke, M. P., Lazarus, A., & Fivush, R. (2008). Knowledge of family history as a clinically useful index of psychological well-being and prognosis: A brief report. Psychotherapy: Theory, Research, Practice, Training, 45(2), 268–272。↩
- 2Feiler, B. (2013, March 15). The Stories That Bind Us. The New York Times。↩
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よくあるおたずね
- マンションで神棚を置く場所がない場合、どうすればよいですか。
- 神棚でなくても、写真を一枚置いた棚で構いません。大切なのは、そこが「いない人のための席」だと家族が知っていることです。
- 家族の歴史を子供に語るとき、苦労話は避けたほうがよいですか。
- いいえ。デュークとフィヴッシュの研究では、成功だけの物語よりも、苦難と再起を行き来する物語のほうが、子供の回復力を育てると説明されています。
- 祖先への祈りは、特定の宗教に属していないとできませんか。
- いいえ。この論考で言う祈りは、自分がつながってきた流れに意識を向け直す行為であり、宗教の枠に関わらず、どなたにもできることです。
この記事のことば
- 言霊(ことだま)
- 言葉に宿ると信じられてきた霊的な力のことです。この記事では、何をどう呼ぶかが人の心に働きかける力として受け止めています。
- 分霊(わけみたま)
- 神社の神さまの御霊を分けて、ほかの場所にお祀りすることです。この記事では、人のいのちも大きないのちから分かたれたものだと受け止めています。
- 中今(なかいま)
- 過去と未来の真ん中にある、いまこの瞬間を指す古い言葉です。この記事では、過去がいまを通って未来へ流れていくという見方として受け止めています。
- 仏壇(ぶつだん)
- 家のなかで仏さまやご先祖をおまつりするための壇です。この記事では、神棚とともに、この世にいない人のための席と受け止めています。
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