佐久間令宗ブログ / 見えない世界の理ことわり

連載神棚のない家 全2回のうち第1回

あなたの家に神棚がない理由は、1951年の図面に書かれていた

日本の核家族化は「時代の流れ」ではなく、1947年の民法改正、1951年の公営住宅標準設計51C型、そして世帯が分かれるほど伸びる経済という三つの力の合力だったことを、統計と記録からたどる論考の第1回です。

公開 2026年10月16日更新 2026年10月16日約10分で読めます

この論考の要旨

2020年の国勢調査で、単独世帯が「親と子供」の世帯を初めて上回りました。この変化の背後には、家族の単位を「家」から「夫婦」へ縮めた1947年の民法改正、2つの寝室と食事のできる台所だけで祖父母の居場所も神棚の置き場もない51C型の間取り、そして世帯が分かれるほど家電が売れる経済の構造という、三つの具体的な力があったと私は受け止めています。誰かが企てたのではなく、それぞれが正しさをもって動いた結果、向きがたまたま一致しました。その過程で失われたものは、横のつながりではなく、先祖から子孫へ流れる時間の縦軸だったと私は考えています。

01置き場所が、はじめから設計されていない

いま、ご自宅を思い浮かべてみてください。神棚はありますか。仏壇はどこにありますか。ない、という方が多いはずです。そして「信仰がないから」「マンションだから」と、なんとなく説明をつけて済ませてきたのではないでしょうか。

私は、理由はもっと即物的なところにあると考えています。置き場所が、はじめから設計されていないのです。誰が、いつ、それを決めたのか。この連載は、一枚の図面までさかのぼる話です。まずは、いまの日本の姿から始めます。

02一人暮らしが、親子世帯を追い抜いた年

2020年の国勢調査に、あまり注目されていない逆転が記録されています。日本の一般世帯を家族類型別に見たとき、最も多いのは「単独世帯」で38.1%でした。これに対して「夫婦と子供」25.1%、「女親と子供」7.7%、「男親と子供」1.3%を合計した「親と子供」の世帯は34.1%にとどまります。単独世帯の割合が親と子供の世帯の割合を上回ったのは、国勢調査の歴史上、この2020年が初めてです1。

世帯の規模も縮み続けています。一般世帯の1世帯当たり人員は、2015年の2.33人から2020年には2.21人へ減りました2。かつての日本では、祖父母から孫までが一つ屋根の下に暮らす形が珍しくありませんでした。それが夫婦と子供だけの「核家族」へ移り、いまや世帯は一人にまで分かれつつあります。この変化は、しばしば「時代の流れ」「価値観の多様化」という言葉で説明されます。

しかし私は、「時代の流れ」という説明に長く違和感を持ってきました。わずか数十年で家族の形がこれほど変わるのは、自然現象と呼ぶには急すぎます。人が集まって暮らすという、何千年も続いてきた営みが、たった二世代で組み替わったのです。調べていくと、そこには明確な設計図がありました。図面と、法律と、経済の数字という、きわめて具体的な形をした設計図です。

03ひとつめの力 ― 「51C型」という図面

1951年度の公営住宅標準設計として、東京大学の吉武泰水研究室が設計した間取り案が採択されました。「51」は1951年度の下2桁、「C」は12坪の型を示し、実際の住戸の広さはおよそ35平方メートルとされています。当時は極端な住宅不足の時代で、政府は坪数の制限まで課していました。そのなかで、鉄筋コンクリート造の集合住宅にふさわしい住戸として考え出されたのが、この51C型です3。

この間取りの核にあったのは、食べる場所と寝る場所を分ける「食寝分離」と、親と子の寝室を分ける「就寝分離」の同時実現でした。限られた面積で両立させるため、台所を広くとって食事の機能を持たせました。台所兼食事室と和室2つの寝室という構成は、核家族のための最小限の標準として考え出されたものです。こうして生まれたのがダイニングキッチン(DK)であり、日本人はこの形を半世紀以上使い続けることになります3。

そして1955年、日本住宅公団が発足します。公団は51C型を原型として団地を大量に供給し、その間取りを「2DK」と表示しました3。全国の郊外に、同じ形の箱が並んでいきます。戦後の住宅不足は、それほど深刻でした。焼け跡から復興し、地方から都市へ人が流れ込む。住む場所を早く、安く、大量に用意しなければならない。標準設計とは、その要請に対する合理的な答えでした。合理的であったからこそ、これほど広く行き渡ったとも言えます。

ここで確認しておきたいことがあります。2つの寝室と、食事のできる台所。この空間に、祖父母の居場所はありません。三世代で暮らすことは、物理的に不可能でした。さらに言えば、この間取りには、床の間も、神棚も、仏壇の置き場所も、はじめから設計されていませんでした。

公平を期すために書き添えます。設計者たちが核家族化を意図したわけではありません。彼らが向き合っていたのは、戦後の深刻な住宅不足という現実であり、限られた面積で生活の質を上げるという切実な課題でした。51C型の設計に携わった鈴木成文は、のちに51C型が戦後の住まいの型を決めたのではないかと論じられるようになると、建築家や社会学者との議論に設計者の立場から加わり、その記録と自らの回想を書き残しています47。

だが構造は、設計者の意図を超えて働きます。人は与えられた箱の形に合わせて暮らし方を変え、暮らし方が変われば、次の世代にとってそれが「当たり前」になります。

04ふたつめの力 ― 世帯が分かれれば、モノが売れる

世帯が分かれることは、経済にとって強烈な起爆剤でした。大家族で暮らしていれば、冷蔵庫も洗濯機もテレビも「一軒に一台」で足ります。しかし若い夫婦が実家を出て新しい世帯を持てば、世帯の数だけ新品が必要になる。内需とは、そういう仕組みで膨らみます。世帯数の増加は、人口の増加よりも直接的に、消費の増加につながります。

団地という新しい暮らしは、当時の若い世代にとって強い憧れの対象でもありました。板張りのダイニングキッチンで食卓を囲み、洗濯板ではなく電気洗濯機を回す。それは「進んだ生活」の象徴であり、親世代の暮らしからの卒業を意味していました。

数字が、その爆発を示しています。内閣府の消費動向調査によれば、1957年の都市部の世帯での普及率は、白黒テレビ7.8%、電気洗濯機20.2%、電気冷蔵庫2.8%でした。調査の対象は1964年から変わっているため、そのまま比べることはできませんが、1965年には白黒テレビ90.0%、電気洗濯機68.5%、電気冷蔵庫51.4%に達しています5。わずか8年ほどのあいだに、テレビは9割の家庭に、冷蔵庫も半数の家庭に行き渡りました。

この三品目に、当時つけられた呼び名があります。三種の神器。八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉。この国が長く最も神聖としてきた言葉が、家電の売り文句に転用されました。

私はこれを、単に上手いコピーだったとは考えていません。日本には古来、言葉には力が宿るという考え方があります。何をどう呼ぶかは、その社会が何を神聖と見なしているかを映し、映すだけでなく、人々の心に働きかけます。かつて神器とは、触れることも見ることも許されない、家の外にある聖なるものでした。それが、月賦で買えて、茶の間に置ける、手の届くものへと移った。何を神器と呼ぶかが入れ替わったとき、入れ替わったのは言葉だけだったのか。この問いは、第2回で改めて扱います。

05みっつめの力 ― 「家」という制度の解体

1947年、民法が改正されます。戦前の民法が定めていた「家制度」、すなわち戸主が家族を統率する権限を持ち、家督が原則として長男に相続される仕組みは、この改正によって廃止され、改正民法は1948年1月1日から施行されました6。相続は子供たちに均等に分けられ、家族の単位は「家」から「夫婦」へと移ります。

この改正は、占領下という状況のなかで進みました。背景に、日本の社会構造を組み替えるという意図がなかったとは言えません。ただし、そこに陰謀を読み込む必要はないと私は考えています。事実として確認できるのは、法律が変わり、家族の最小単位の定義が変わったということです。それだけで十分に大きな出来事でした。

個人の尊厳と、両性の本質的平等。それが改正の理念であり、私はこの理念そのものを否定するつもりはありません。長男以外に生まれた者、女性として生まれた者が受けてきた不利益は、確かに存在しました。ただし、制度の変更には必ず副作用があります。「家」という単位が法律の上から消えたとき、同時に薄れたものがありました。先祖から受け継ぎ、子孫へ渡していくという、時間の縦軸の意識です。

06三つの力が、同じ方向を向いた

整理します。法制度は、家族の単位を「家」から「夫婦」へと縮めました。住宅政策は、その夫婦と子供がちょうど収まる箱を全国に供給しました。そして経済は、世帯が分かれるほど成長する構造を持っていました。

誰かが密室で企てたわけではありません。それぞれの当事者は、それぞれの正しさで動いていました。住宅不足を解消したい。民主的な家族観を根付かせたい。経済を立て直したい。しかし、三つの力の向きがたまたま一致しました。合力は、単独の力よりもはるかに大きくなります。日本の核家族化とは、この合力が生んだ結果であって、緩やかな価値観の変化などではなかった。私はそう考えています。

ここまでが、記録に残された事実です。そのうえで、私が本当に書きたいのは次の問いです。この過程で、私たちは何を失ったのか。

一般に、核家族化の課題は「孤立」だと語られます。ワンオペ育児、老老介護、孤独死。困ったときに頼れる大人が近くにいない。それは確かに深刻な問題であり、行政の支援や地域のつながりで補うべきものです。しかし私は、失われたものの本質は横のつながりではないと考えています。

核家族化は、世帯が横に分かれた現象として語られます。祖父母と離れた。親戚と疎遠になった。近所を知らない。確かにそのとおりです。けれども、分断されたのは空間だけではありませんでした。

もう一度、あの間取りを思い出してください。2つの寝室と、食事のできる台所。そこに神棚の場所はなく、仏壇の場所もない。つまりその家には、すでにこの世を去った人々が居る場所が、はじめから用意されていなかったということです。

家から祖父母が消えたのではありません。家から、祖父母の、そのまた祖父母までが消えた。失われたのは、縦の軸です。

参考文献

  1. 1公益財団法人生命保険文化センター「『単独世帯』が約40%:高齢者の単独世帯の増加」(藤田由紀子)、2023年。総務省統計局「令和2年国勢調査」人口等基本集計の家族類型別世帯割合にもとづく。 https://www.jili.or.jp/kuraho/essay/2023/9280.html↩
  2. 2総務省統計局「令和2年国勢調査 人口等基本集計結果 結果の概要」2021年。一般世帯の1世帯当たり人員の推移(2015年2.33人、2020年2.21人)。 https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/kekka/pdf/01-01-01.pdf↩
  3. 3褚秋霞『公営住宅標準設計51C型の成立と同時代の住戸型への影響に関する研究』筑波大学大学院人間総合科学研究科博士論文。 https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/55117↩
  4. 4鈴木成文『五一C白書 私の建築計画学戦後史』住まいの図書館出版局、2006年。↩
  5. 5内閣府経済社会総合研究所「消費動向調査」主要耐久消費財等の普及率(1957年および1965年)。 https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/shouhi/shouhi.html↩
  6. 6「民法の一部を改正する法律」(昭和22年法律第222号)。1947年12月22日公布、1948年1月1日施行。↩
  7. 7鈴木成文ほか『「51C」家族を容れるハコの戦後と現在』平凡社、2004年。↩
次の回失われたのは横のつながりではない ― 神棚のない家で、私たちが手放したもの

静かに、手を合わせてみてください。

よくあるおたずね

51C型の設計者は、核家族化を狙って間取りを作ったのですか。
いいえ。設計者たちが向き合っていたのは戦後の深刻な住宅不足であり、限られた面積で生活の質を上げることが課題でした。設計に携わった鈴木成文は、のちに51C型が戦後の住まいの型を決めたと論じられた際、設計者の立場から議論に加わっています。
三種の神器という家電の呼び名は、いつごろ使われたものですか。
1950年代後半、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の三品目に対して使われました。内閣府の消費動向調査では、1957年から1965年のあいだに三品目の普及率が急激に上がったことが記録されています。
家制度はいつ、どのように廃止されたのですか。
1947年の民法改正によって廃止され、改正民法は1948年1月1日から施行されました。戸主の権限と家督相続がなくなり、相続は子供たちに均等に分けられるようになりました。

この記事のことば

神棚(かみだな)
家のなかで神さまをおまつりするための棚です。この記事では、この世にいない人々のための席でもあったと受け止めています。
食寝分離(しょくしんぶんり)
食事をする場所と寝る場所を分けるという住まいの考え方です。建築学者の西山夘三が提唱し、51C型の設計の核になりました。
三種の神器(さんしゅのじんぎ)
皇位の象徴として受け継がれてきた八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉のことです。1950年代後半には、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫を指す呼び名としても使われました。
家制度(いえせいど)
戦前の民法が定めていた家族制度で、戸主が家族を統率し、家督が原則として長男に相続される仕組みです。1947年の民法改正で廃止されました。
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この記事を書いた人

佐久間令宗さくま れいしゅう

和氣清麻呂公の流れを汲む和氣生京先生の祈りを受け継ぎ、祖霊祭と土地・建物の神事を執り行っています。また、広島を拠点に、地震鎮めと世界平和を祈る活動をしています。

著者について詳しく

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